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KANEKO Chalin

KANEKO Chalinが語る音楽の原体験 | インタビュー公開

人となりや音楽の原体験などをインタビューしてアーティストを深堀していくコーナー。今回は、10月20日に1stシングル「A Lucky yellow vehicle to arrive」をリリースしたばかりのKANEKO Chalinに音楽へのきかっけなどを聞く。

普段は「遊び」、「協働」がテーマの研究者です

ー 自己紹介をお願いします!

KANEKO Chalin : 普段は研究者をしてます。「遊び」とか「協働」が研究のテーマです。3児の父親で、一番下は中2なので、概ね子育てひと段落という感じ。子ども達は岡山、仕事は東京という2拠点生活をしてましたが、コロナで2年くらい岡山には行けてない。そろそろ岡山にも戻って、少し長めに岡山にいたいなって思ってます。

ー 研究者しながら音楽活動とか、東京と岡山の2拠点とか時代の先取りしてる感じですね。

KANEKO Chalin :兼業とか副業とかクローズアップされてますけど、実は昔からあんまり変わっていないんじゃないですかね。仕事しながら草野球チームで野球やって、町内会の役職してとか、普通に皆さんしてましたよね。仕事してても、父親やっている、母親やってるというのはお子さんを持たれている人はみんな兼業してるってことですよね。お金もらえるかどうかが違うだけで時間を使って何かするということでは同じなんじゃないでしょうか。僕も研究と音楽だけじゃなくて、いくつか非営利法人での仕事もして、音楽やって、親の介護して、一応、父親やってます。これって新しいことではないような気がしてます。2拠点のほうが大きな変化ですかね。これは確実にネットのおかげですね。どこにいても仕事ができる、どこにいても人と話せるからこそですね。仕事で岩手県とか宮崎県にもよく行くのですが、どちらもすごく居心地がいいので、そのうち4拠点くらいで生活しちゃうかもしれません。

ー 活動をはじめた経緯やアーティスト名の由来を教えてください。

KANEKO Chalin : 大学時代の終わりくらいから社会人10年目くらいまでは仲間とバンドやったりして、曲もかいてたんですが、子どもができてからは、仕事と子育てでそれどころじゃなくなって音楽をやることはできなくなっちゃいました。でも、基本的にNo Music, No Lifeなんで、朝起きたら音楽かけて、車にCD大量に積んで、音楽とともに移動して、寝るまでずっと音楽かけてるというような感じでした。CDは2,000枚くらい持ってます。1枚2,000円だとしても400万円なんで、自分でもなんちゅうお金の使い方だと思います。軽自動車なら4台分ですからね。
下の子が中学に入ったので少し時間ができたのと、コロナ禍で家にいることが多くなったのをきっかけになんとなくギターをいじっていたら、なんとなく曲が何曲かできて、1年くらいで100曲くらい書いちゃいました。まあ、どうしようもない曲もたくさんありますけど。なんで曲を書いているのかは自分でもよくわからないです。ご飯食べたり、寝るのと同じような感じで曲をつくるっていう感覚です。

KANEKO Chalin : アーティスト名の「茶琳」の「茶」は俳人の小林一茶から頂きました。一茶の、世界や人の感情を切り取る時のあらぬ方向からの、それでいて素朴な視点が大好きで、いつも枕元に句集が置いてあります。「琳」のほうは、苗字が金子なんで「チャリン」にしたら、「お金」と「チャリン」でなんか面白い響きになるなあと思って「琳」にしました。「琳」という漢字は「玉が触れ合って鳴る美しい音」という意味なので音楽をやっている人間の名前としてもとてもいいなあと思ってます。

15歳の時に見た国立代々木競技場でのブルース・スプリングスティーンが最初のヒーロー

ー 影響を受けたアーティストやご自身の音楽ルーツを教えてください。

KANEKO Chalin : 音楽にとりつかれたのは中1くらいの時に兄貴の部屋にあったビリー・ジョエルの「52番街」を聞いた時ですね。「なんじゃこりゃ、かっこえー」って。それまで聞いていた日本の歌謡曲とは全然違ってた。そこからはどんどん音楽にはまっていきました。最初のヒーローはブルース・スプリングスティーンでした。初めて行ったコンサートは15歳の時のスプリングスティーンの国立代々木競技場のライブ。ジーパン破って、ジージャン着て、3時間以上のコンサート、15歳児にとってかなりの冒険だったと思います。スプリングスティーンの影響は曲の面でも詞の面でもすごく受けていると思います。トム・ペティ、ジャクソン・ブラウン、ジョン・メレンキャンプのようなアメリカのロックンロールをたくさん聞きましたね。そこから彼らの音楽の先輩たちの音楽を、遡っていく形で聞いていって、中学卒業までにはロバート・ジョンソンとかルイ・アームストロングにたどり着いてました。音楽はジャンルに関係なく何でも聞きます。大人になってっからは、アメリカ以外の音楽もたくさん聞くようになりました。アフリカの音楽とか、アイルランドの音楽とか、ブラジルの音楽とか、もちろん、ジャマイカもね、クラシック音楽も聞きますよ。まあ、今でも一番聞くのは、スプリングスティーンのようなアメリカのロックと、オーティス・レディングとかのソウルですかね。曲づくりにもかなり影響を受けてると思います。ジャズもよく聞きます。ちょっと忙しくて疲れたときとか。
後は、ザ・バンドですね。生まれ変わったらザ・バンドの6人目になりたいと思ってます。絶対たどり着けないよなあとは思うんですけど、初期のジョニ・ミッチェルも大好きです。次から次へとメロディが紡がれていく感じは何度聞いても引き込まれます。曲という意味ではポール・サイモンも大好きです。

ー 今、活動をしているなかで一番大事にしていることはなんですか?

KANEKO Chalin : いつか曲が書けなくなるのかもしれないですけど、今は曲が書けてるのでどんどん曲を書いていきたいです。ザ・バンドが好きだということからもわかるかもしれないですけど、新しい音楽というより昔からすでにそこにあったようなシンプルな曲をかきたいと思ってます。というか、そんな難しい曲とか書けないんですけどね。ピーター・バラカンさんをして「人類の共通メモリーバンクにあったとしか思えない」曲をかきたいです。
後は曲をつくるぞーと勢い込んでつくるのではなく、日常から零れ落ちるような曲を書きたいと思っています。実際、映画見ながらとか、ごはんを食べ終わった後とか、夜、寝る前にギターをいじってるときによく曲ができます。

「A Lucky yellow vehicle to arrive」は、父親の切なさを理解し、自分が大人になったことの切なさを感じるストーリー

ー シングル「A Lucky yellow vehicle to arrive」はどんな曲ですか?

KANEKO Chalin : いつもメロディからできて、適当な英単語を並べて歌っておくんです。それからこの曲はどんなイメージかなあとぼんやり考えながら詞を書いていきます。この曲のサビの最後の「I Still feel your love, love, love, love」という部分は実は適当に英単語並べているときからできてました。「love」って部分のはまり具合はすごくいいんだけど、ラブソングっていう感じじゃないなあと、メロディは少し切ないので恋愛以外の切なさみたいなもの歌えないかなあと、大人になることの切なさを表現できたらいいなあとか思っているうちに歌詞ができてきたという感じです。大人になってから、自分の父親とのエピソードを思い出して、父親の切なさを理解し、自分が大人になったことの切なさを感じるというようなストーリーになっています。って、こんな詳しく世界観を説明しちゃうと曲がつまんなくなっちゃいますかね。皆さんが感じるように感じてください!

ー 「A Lucky yellow vehicle to arrive」制作時のエピソードがあればお話しください。

KANEKO Chalin : もともとフォークロックっぽい曲で、デモ音源は私のギター一本でコード弾いているだけなので、アレンジは難しいだろうなと思っていました。アレンジャーの五十嵐さんには申し訳ないと。。。ただ自分の曲がどんなふうに変わっていくんだろうというのにはスゴイ興味があって、僕はむしろ楽しんでましたし、基本的にはお任せしようと思っていました。最初はフォークロックっぽいアレンジだったのですが、アレンジャーの五十嵐さんがちょっとリズムを変えてみたいとおっしゃられて、これ言っていいのかわからないですけど、TOTOみたいな感じにと。個人的には僕の曲にジェフ・ポーカロばりのリズムがつくのか!!!と興奮しました。実際、聞いてみたらすごいかっこいいリズムで、僕は若いころはバンドでドラムをたたいていたんですけど、自分じゃ絶対たたけないリズムです。ほんと五十嵐さん、最高っという感じでした。ピアノが少しブルーズっぽいのもすごく気に入っています。歌入れの時、五十嵐さんのスタジオに行かせて頂いたんですけど、壁にRainbowが飾ってあって、Rainbow話で盛り上がったのを覚えています。今時Rainbowの話しができる機会ってほぼないですから。その後、ちょっとRainbowのバラードっぽい曲をかいたりしちゃいました。曲と関係ないですね。。。

ー "KANEKO Chalin"の作品がどのような人に届いてほしい、聴いてほしいなどはありますか?

KANEKO Chalin : さっきも言いましたが、シンプルでもうずっと前から存在していたかのような曲を書きたいと思っているので、お風呂場で何気なく口ずさんじゃってるとか、寝る前にふと頭の中で鳴っているみたいになるといいなあと思っています。最近の曲は難しい歌が多いんで、あんまり気合をいれなくてもいいような感じで聞いてもらえるとうれしいです。

ー 今後の展望や理想、目標などを聞かせてください。

KANEKO Chalin : BandLabという世界中の音楽制作好きが集まっているソーシャルネットワークがあって、そこに作った曲はアップしていっています。いろんな国の人に曲を聞いてもらって、いい曲だってだと言ってもらえるとうれしいので、どんどん曲を書いて、世界中のみんなに聞いてもらえるようにしたいです。音楽をつくってる仲間を世界中に作れるっていうのは、ほんと昔では考えられなかったことです。
後、バンドやりたいです。The BandのBig Pinkみたいな家兼スタジオみたいな場所をつくって、夜な夜な集まっては、セ~っので音楽をやったり、録音したり、そんな中からいい曲が生まれてくるというようなそんな場所とそこに集まってくる仲間をつくりたいなあと思ってます。さらにSNSでその場所と世界がつながったら面白いですよねえ。
僕、仕事大好き人間なんですけどね、本業のほうですけど。最近「なんでそんなに仕事やってるの?」って友達に聞かれたんですよ。それで、僕にとって仕事も部活動の延長線上にあるんだって気が付いたんです。部活って、誰に言われてるわけでもないのに頑張れるじゃないですか、人生、全部、部活みたいになったらいろんなことに夢中になれるなあと思っています。なので、最初にバンドやってた頃と同じように部活動みたいに音楽できたらいいなって思います。レーベルの人からは怒られちゃいますかね。でも、世界の音楽好きとつながった部活みたいなバンドやりたいなあって、夢見ています。

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KANEKO Chalin | PROFILE

PROFILE KANEKO Chalin SINGER-SONGWRITER 教育関係の研究者、某大学の教授。子育てを終え、何気なく手に取ったギターに導かれ、若いころに熱中してい ...

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Interview, Text : Yoro

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